ライナーノーツ(1974年6月)

タワーレコードが日本に進出したのは1980年。輸入盤のレコードが広く浸透する以前は、洋楽アルバムが国内盤としてプレスされる際に付された、音楽評論家等による解説文(ライナーノーツ(ライナーノート))を読みながらレコードに耳を傾けるというのが当たり前の儀式であった。

海外からの情報に乏しかった昭和時代、このライナーノートはアーティストの情報を得るのにとても重宝された。また、当時のレコードは邦題や訳詞の面白さも手伝って、ライターの個性を垣間見ることができるという楽しみもあった。

当然ながら1974年に国内でも発売された『アメリカン・グラフィティ』のオリジナル・サウンドトラックに付録されていたライナーノーツは、41曲ものコンピレーション・アルバムだけに情報が凝縮していて、原作本やパンフレットと共に僕らの貴重な財産となった。

リアルタイムでニューヨークでアメグラを観たという故・今野雄二氏の解説が秀逸で、この場にて紹介させて頂きたい。本作『アメリカン・グラフィティ』を観ていない方は、中盤よりあらすじに触れている為ネタバレ注意である。

ロックン・ロールとカスタム・カーのめくるめくノスタルジー・パレードの中に青春の真実がきらめいて……『アメリカン・グラフィティ』はぼくの新しい宝物になった!

解説:今野雄二

1962年あなたはどこで何をしていましたか?
-映画「アメリカン・グラフィティ」をもっとも簡単に解説するには、アメリカでこの映画の広告に使われたこの”Where were you in ’62”というキャッチ・フレーズが他の何よりも一番ふさわしい。

1962年、それはボブ・ディランの登場、ベトナム戦争の勃発、ケネディ大統領の暗殺、そしてビートルズの出現とヒッピーの発生など事件の相次ぐ動乱の1960年代のまさしく夜明けとなった年であり、同時にまた、古き良きノスタルジックな1950年代のアメリカの夢の終わりの年でもあった。

その1962年の、アメリカのカリフォルニアの小さな町を舞台に、なつかしフィフティーズのロックン・ロールとロッカ・バラードに全編を彩られ、趣向をこらしたカスタム・カーの数々に乗り込んだ若者たちの青春のひとこまを感動的に描ききった映画がこの「アメリカン・グラフィティ」である。

アイゼン・ハワーからケネディへと大統領が交代し、ロックン・ロールがよりプログレッシブなロックへと移行しつつあったこの年、映画の主人公たち同様に、高校を卒業して青春というほろ苦い人生のもっとも美しい時間に別れを告げて、世の中に一歩を踏み出した監督ジョージ・ルーカスが、それから10年の時をへだてた1973年に発表したこの映画は、公開と同時に全米の若者たちを熱狂の渦に巻き込み、空前の大ヒットを記録して話題をまいた。

1973年の夏、折からニュー・ヨーク滞在中だったぼくは封切間もないこの話題作にすぐさま飛びついたものであった。ノスタルジーをかきたてるような”Where were you in ’62”の一行が実に心にくく素敵であり、ニュー・ヨーク中の若者たちが「アメリカン・グラフィティ」の話題を口にすることが楽しくてならない、という様子であった。
古き良きひと昔前のアメリカを背景に、4人の若者たちがノスタルジー・ポップとクルマとファッションとでくりひろげてみせる青春群像はその時点で、すでに映画であることとして若者たちの間に受け入れられており、それはかつての「イージー・ライダー」の出現を上まわるような<事件>でもあった。
カーペンターズがこのブームをいち早くとりあげてあの「ナウ・アンド・ゼン」を発表、そして世界的な大成功を納めたことは言うまでもない。

心ある人々から絶大の支持を得ながら、そして多くの良心的な批評家たちから本年度の最高傑作!と認められながら、「アメリカン・グラフィティ」が注目のアカデミー賞ではハリウッドの商業主義による不運なる犠牲者として同じ会社(ユニバーサル)のもうひとつの候補作「スティング」にオスカーをゆずらざるを得なかった事実は、かえすがえすも残念であるが、1974年の6月、ほぼ1年を経過した現在もまだ、この不朽の傑作青春映画が全米各地ですばらしい人気で続映中であることをこの目で確かめてきて、ぼくはささやかな幸福感を味わうことができたのであった。

そのささやかな幸福が大きな喜びへと飛躍していったのは、実はハリウッドから帰国直後に、この映画が遂に日本でも公開される見通しがついたということを、ぼくが知らされたからである。かつて、無名の新人監督の、しかも殆どなじみのない出演者ばかりの、ロックン・ロール・フィルムなどとても興行的な成功は望めない、と日本の洋画業界からそっぽを向かれたままっでいたこの映画が、いよいよ一年後になって陽の目をみようというのだ。

これは、「アメリカン・グラフィティ」の評判を伝え聞いた若者たちの熱心な要望の勝利であり、そしてまた、この稀有の傑作の持つみごとな力を意味するもの、とみて良いだろう。

いまなお現役で大活躍中のディスク・ジョッキー、ウルフマン・ジャックの奇声に乗って、あの<ロック・アラウンド・ザ・クロック>がカー・ラジオをゆるがすように響きわたると、映画「アメリカン・グラフィティ」が始まる。


1962年の暑い夏も終わりに近づいたある日の、明日から新学期が始まるという夜-カリフォルニアのある小さな町の4人の若者たちが紹介されていく。ローラー・スケートをはいたウェイトレスがハンバーガーをクルマの窓まで届けてくれるドライブ・イン・スタイルのレストランMel’s Burger Cityが彼らのたまり場なのだった。

58年型シボレーを乗りつけてやって来たのはスティーヴ(ロニー・ハワード)で、彼はこの夏ハイ・スクールを卒業し、いよいよ明日は東部の大学へ出発する予定だが、ガール・フレンドで1年下のローリー(シンディ・ウィリアムズ)は彼と別れたがらず、この町で就職してほしいと主張する為に、悩み抜いている。

ヴェスパのスクーターでやって来たひどい近眼でチビのテリー(チャールズ・マーティン・スミス)はクルマが無いばかりでなく、女の子にももてず、いつかは素敵なクルマとガール・フレンドを手に入れたいと夢みながら、柄にもなくクールにポーズをとってみせるおっちょこちょいのお人好しで、ローリー同様、卒業まで後1年という高校生である。
古いシトロエンを乗りつけたカートリチャード・ドレイファス)はスティーヴと同じく大学進学の予定だが、優等生で奨学金までもらった彼は常に世の中をシニカルに見つめる正確を装いながら、その実、ふと目にした純白のサンダーバードの金髪の美女に、実は彼女が娼婦とも知らずに、淡い夢をはせるロマンティストでもある。
そして、32年型のフォードを改良した黄色のカスタム・カーを乗りまわすジョン(ポール・ル・マット)は22歳で、仲間のボス格であり、カー・キチ仲間のチャンピオンであると共に町中の女の子の憧れの的でもある。

原題のとは、アメリカ的落書き、とでもいうほどの意味だろうが、映画はまさしくそのタイトル通りにこの4人の若者を中心に、小さな町で起こった様々の小さな事件の数々をあたかも落書きをつづるように淡々と描き出して、夕暮れから夜明けにいたる夏の夜の12時間のドラマを組み立てていく。
プラターズの<煙が目にしみる>に合わせて踊りながら、スティーヴの胸に別れの悲しさの涙をついこぼすローリーを写し出すハイ・スクールのダンス・パーティは、当時全米に流行したSock hops-学校の体育館の床をいためぬように皆が靴を脱ぎソックスだけでジルバやストロールを踊った-の再現であり、フラッシュ・キャデラック&ザ・コンチネンタル・キッズの演奏に合わせて踊り狂う若者たちのリーゼントポニーテイルのヘア・スタイルやノスタルジー・ファッションがたっぷりと楽しめる。

 

 

スティーヴのシボレーを借りて、例のクールなポーズで町を流すテリーが見つけたのはサンドラ・ディ(50年代ハリウッドの典型的なアイドル・スター)にそっくりのデビー(キャンディ・クラーク=アカデミー助演女優賞にノミネートされた)という金髪の美女で、彼女の前で精いっぱいクールでタフな大人を気取る彼が、酒を買おうとする一幕が腹をかかえさせるほど笑える。高校生に酒を売るのは禁止されている為に、テリーがあの手この手で四苦八苦するのである。まるで不釣り合いなこのカップルにも時間と共に少しずつ親愛の情が通い始めるところが何とも良い。

街頭で不良にいためつけられているテリーをさっそうと、「ローンレンジャーみたい」(デビー)に助けてやるジョンは、Gパンに白いTシャツ、そしてヘアはリーゼントという典型的なタフ・ガイだが、彼の御自慢はフォードと、それにTシャツの半そでにキャメルをたくし込んだイカシたスタイルである。甘い2枚目然としたルックスと、フット・ボール選手のように逞しい肉体美のこのビッグ・ジョンは女の子たちのアイドルだが、よりによってこの夜はひっかけるつもりの女の子の妹のお相手を努めさせられる破目になって、全編くさりどうしなのである。

 

 

タフ・ガイぶりを発揮できずにいるこのジョンもまた、自分の妹みたいなキャロル(マッケンジー・フィリップス=元ママズ・パパズのジョン・フィリップスの実娘)とのひとときを通して、自分自身も気づかなかったやさしさを自覚していく。ようやくキャロルを家へ連れ帰ったジョンが別れ際に、彼女に大切な銀色のギアシフト・ノブをプレゼントするシーンがこの映画の中でもっとも美しい輝きを発揮するのも、そうした意味に於いてである。

この「アメリカン・グラフィティ」はジョンの黄色のフォードを筆頭に無数のフィフティーズのクルマが、ラジオのウルフマン・ジャックの流すロックン・ロールの数々に乗って流れるようにネオンにあふれる街頭を、あたかもミュージカルの群舞の如き華麗で走りまわるところが、大きな見ものとなっている。’50年代に大流行したcruising-クルマで街を流しながらガール・フレンドをハントし、カー・ラジオのDJを堪能した-のこれまたみごとな再現なのである。因みにジョンのクルマにつけられたカー・ナンバーの<THX 138>とは、監督のルーカスの処女作で本邦未公開のSF映画”THX1138”のパロディである。

数々のユーモラスで心あたたまるエピソードに彩られたこの映画の中でも、もっとも強い印象を残すエピソードの主人公はカートであろう。ファラオ団と名のる不良少年のグループにいちゃもんをつけられて無理やりにパトカーをからかったり、パチンコ屋の金を盗まされたりしていくうちに、この賢明な若者はある種の力強さ、それはおそらく波乱の人生に正面からぶつかっていけるような強さであろうが、を身につけていく。その反面、ふと目にした白いTバードの美女への憧れをウルフマン・ジャックのDJに托さずにはいられなかったという、純情な一面ものぞかせて、ぼくたちは次第にこのロマンティストの若者が好きになってくるのである。深夜の放送局でウルフマンとカートとが垣間みせる美しい友情のエピソードもまた、いつまでも心の底に残るような名シーンのひとつと言えるであろう。

ひとりひとりが様々のエピソードの主人公となって過ごした、最後の夏の一夜が白々と明け始める頃、「アメリカン・グラフィティ」のドラマは、ジョンとライヴァルの男との危険なドラッグ・レースのクライマックスへ向かっていく。競争相手の事故の為に勝ったかにみえたビッグ・ジョンが、自らの敗北を認めるような言葉を口にするとき、ぼくたちは、すでにこの夢のような青春という日々が一歩また一歩と遠くへ過ぎ去って行く現実を思い出される。

スティーヴは東部の大学へ進学する夢を愛するローリーの為に断念して町に残ることに心を決めた朝、カートが東部へ旅立つ。

 

プロペラ機が待機する空港でカートに別れを告げる仲間たち-スティーヴとローリー、テリー、そしてビッグ・ジョンのひとりずつ別れの言葉を交わしたカートは、ウルフマンのDJが流れるトランジスタ・ラジオを胸に、旅立つ。その窓のはるか下の道を純白のTバードがすべるように走っていく。幻の恋人との別れ、それはつまり淡い青春との決別であり、カートというひとりの若者の人生への出発をも意味していたのであった。

飛行機の窓の外に拡がる果てしない大空に、4人の若者たちの卒業写真が現れて、美しいエピローグが終わる。

ジョン・ミルナー…1964年6月酔払い運転のクルマに殺される。
テリー・フィールズ…1965年12月ヴェトナムのアン・ロック付近で行方不明となる。
スティーヴ・ボランダ-…カリフォルニアのモデストで保険外交員として働いている。
カート・ヘンダースン…作家としてカナダに在住。

このドラマのエピローグにならって、4人のすばらしい若手俳優たちのその後の活躍ぶりを追ってみると、
ポール・ル・マット(ジョン)…俳優からプロのボクサーに転向し近々デビューの予定。
チャールズ・マーティン・スミス(テリー)…「スパイクスギャング(仮)」に出演。
ロニー・ハワード(スティーヴ)…「スパイクスギャング(仮)」に出演。
リチャード・ドレイファス…「デリンジャー」に出演。

という具合になるが、4人共に本格的な映画主演はこの「アメリカン・グラフィティ」が最初だが、各々、演劇界やTV界で十分にキャリアを積んだ演技派ぞろいである。特にジョン役のポール・ル・マットは専門家の間で素晴らしい評判を呼んだ。

最後に「ゴッドファーザー」のフランシス・フォード・コッポラのプロデュースのもと、オリジナル脚本(グロリア・カッツウィラード・ヒュイックとの共同執筆)を書き監督したジョージ・ルーカスは今年29歳という若さのアメリカ映画界期待の新鋭映画作家であり、南カリフォルニア大学の映画学科出身という生粋の映画青年だが、学生の頃は相当のカーキチぶりを発揮したという。

映画の若者たち同様にカリフォルニアのモデストの高校を卒業したのが1962年といえば、この映画がルーカス自身の青春の反映であることはもはや明らかであろう。

幻の恋人に別れを告げて青春から飛び出したカートは作家になったが、現実のカート、つまりジョージ・ルーカスは映画作家となった。甘く、ほろ苦い青春の夢に決別したところから、厳しい本物の人生が始まることを、ルーカスは何というやさしさ、あたたかさで描き出したことであろう!