1932 フォード・デュース・クーペ(’32 Ford Deuce Coupe)

1932 フォード・デュース・クーペ('32 Ford Deuce Coupe)

概要

ホットロッドを連想した時に真っ先に思い浮び、ホットロッドを語る時に必ず例えられるほど世界一有名なホットロッド。通称“Milner’s Coupe”(ジョン・ミルナーのクーペ)、“Graffiti Coupe”、“Yellow Coupe”などとも呼ばれる。
1932年型フォードモデルB(B型フォード)のクーペタイプ5ウィンドウをベースに映画『アメリカン・グラフィティ』用にたった1台だけ製作された改造車だ。

デュース」とは’32年型のフォード全般を指す愛称で正式名称ではない。また劇中ボブ・ファルファが「デュースクープ」と発音する事から、そう呼ばれる事もある。

尚、“デュース・クーペ”と区切って表記すべきですが、当サイトではつなげて表記しています。

USA. California. 1972. Actor Paul LE MAT on the set of “American Graffiti,” filmed in and around the Bay Area.
http://pro.magnumphotos.com

アメグラの背景は、ゴールデンエイジと称される1950年代(50’s=フィフティーズ/ミッドセンチュリー)文化のエピローグであり、当時グリーサー(Greaser)と呼ばれた一部の若者達が好んだホップアップ(=チューニング)したホットロッドを登場させる事は、同時期に青春時代を過ごしたジョージ・ルーカスにとって不可欠な存在だったのであろう。

事実ルーカスは、こうしたカーカルチャーの中心だったカリフォルニア(モデスト)で生まれ育ち、高校時代のほとんどの時間をガレージと草レースに注いだほどで、アメグラの設定時である1962年6月12日、18歳の時には新聞沙汰になるほどの大事故を起こしレーサーになる夢を断っている。こうしたルーカス自身のエピソードがアメグラには投影されているのだ。当時からホットロッドのシンボルであったデュースを本作に起用するに至った経緯は想像に難しくない。


参照

特徴

ナンバープレートの「THX 138」はジョージ・ルーカスの処女作『THX 1138』(1971)からというのは有名な話だが、このワンショットを例に挙げても、1941-1948年型シボレーのテールライトを装着し、スリックタイヤを履かせ、ネルフバー(バンパー)はAmco製のアルファロメオ・スパイダー・デュエットのフロントバンパーガードの流用であろう。もちろんフット付きのカーホップトレーも見逃せない!などとカーマニアを唸らせるパーツやアイテム達を考察できるのもアメグラの魅力だ。

インテリアでは、違反切符で溢れそうな内ドアポケットはC.S(チキンシット)と呼ばれ、ルームミラーにはジョン・F・ケネディの1960年の大統領選キャンペーンボタン(缶バッチ)を付けたブルーリボンを吊り下げる。グローブボックスには後の1960年型キャデラック襲撃シーンに使われるシェ-ビングフォームが伏線としてスタンバイされている。思わずキャロルにプレゼントしてしまった後の操作性が気になったシフトノブとして流用していたのは何用のピストンだったのだろう?とアメグラファンの謎解きはいつまでも尽きないのだ。

改造

 

http://lucasfilm.com/american-graffiti

ジョージ・ルーカス及び共同プロデューサーのゲイリー・カーツによれば、ベース車の候補から赤いフルフェンダーのデュースクーペに絞り込んだ。決め手はチョップトップされていた点で、わずか$1,300で購入。すでにカスタマイズされていた個体だけに、当初はノーガハイド素材の紅白のタックアンドロールのシートだった(スティーブのインパラ調か?)。そしてこの映画でのトランスポーテーション・スーパーバイザーという肩書のヘンリー・トラバースが改造に関する指揮する事になり、イグナシオのボブ・ハミルトンのショップに持ち込まれ様々なカスタムが施された。

ハイボーイスタイルにリアボブフェンダーの装着はルーカスによる希望。フロントフェンダーはモーターサイクル用を流用し、ヘッドライトはアルミのステーにマウントされ、ドロップアイビームはクローム加工。グリル及びシェルもセクショニングされているのが特徴だ。

http://lucasfilm.com/american-graffiti

オリジナルの折りたたみ式のエンジンフードは装着せず、剥き出し状態のモーターは1966年のシェビー(=シボレー)スモールブロック327、MAN-A-FREインテークマニホールドとロチェスター2G2バレル4キャブレターというレアなパーツの選択がこのマシンの象徴となった。ジョニー・フランクリンズのへダース&マフラー、トランスミッションはT-10型4速、ギヤ比は4.11:1、リアエンドは1957年のシェビーを流用。サン・ラファエルのOrlandi’sでションベン色(カナリアイエロー)にラッカーペイントされ、シートも黒に染められた。

クライマックスのパラダイスロードでのアタックは、念の為トラバースがドライブしたとの事だ。 尚、劇中ガレージから爆音を轟かせて出てきたミルナーに対し、ガソリンスタンドマンが“Took header plugs of??”(DVDでは「手を入れたな?」と翻訳)と問いかけるシーンがあり、へダース(=エキゾーストマニホールド)についているプラグ(蓋)を取ったであろう事を想像させるが、実車のへダースはマフラーへ直結していて、パラダイスロードのシーンではリアから排気している事が伺える。


参照

撮影後

ムービーカーとは言えこれほどディテールにこだわったホットロッドだけに、劇場公開後すぐに専門誌“ストリートロッダー・マガジン”(1974年3月号)に掲載され、以降も数々のメディアが取り上げたが、役目を終えていただけに売り出される事になる。画像は“ストリートロッダー・マガジン”(1975年6月号)に実際に掲載されたオークション広告だが、奇しくもオーナーが見つからぬまま時が過ぎた為、再びスクリーンの中を駆ける機会を得るのである。『アメリカン・グラフィティ』が予想以上の興行成績と高評価を得た為、続編の制作が決定したのだ。

ユニバーサルはデュースクーペをスタジオへ返却するようトラバースに命じる。そして『アメリカン・グラフィティ2』製作までの間、Milner’s Coupeはユニバーサルにディスプレイされる事になった。1979年公開の『アメリカン・グラフィティ2』の担当も当然トラバースが抜擢された。レストア及び同色にリペイント(今回はアクリルを使用)され、グリルは黒く塗られた。販促とばかりにmpcからプラモデルも発売された。『アメリカン・グラフィティ2』の劇中ではドアにピープミラーが装着されているが、1作目公開後にも公道で走る際には装着していた事が確認されている。


参照

『アメリカン・グラフィティ2』公開後、再びスタジオにディスプレイされたMilner’s Coupeだが、バルブカバー、キャブ、エアスクープ、内ドアハンドル等など数々のパーツが盗まれた。そして劇中ライバル車’55シェビーを所有していたカンザス州ウィチタに住むスティーブ・フィッチ氏により、1983年のオークションで落札されるのである。


参照

 

現在

JAPAN. Yokohama. 2009. Rick Figari
http://www.mooneyes.co.jp/hcs/09/report/

やがて多くの電話と訪問責めに妥協し、フィッチ氏はデュースクーペを手放す事になる。相手はサンフランシスコに在住のリック・フィガリ氏。この時フィガリ氏は弱冠20歳、1985年の事だった。当時は野ざらしに近い状態で保管されていた為、ボディも相当痛んでいたようだが、その後30年以上レストアを施しながら現在も大切にしていて、数々のホットロッド・ショーにエントリーし、2009年には日本の地を駆けたのである。


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オリジナル

1932年に登場したフォード・モデルB・クーペのストック状態の姿。脱着可能なフェンダーやフードを身にまとえば、クラシックカー然としたフォルムだ。”Deuce of Spades”(スペードの2)などと言われるように、製造年の「2」を意味する「デュース」という愛称で親しまれ、リンカーンに通じる手頃なラグジュアリー感を兼ね備えていた事から「ベビーリンカーン」とも言われた。
同社初のワンピース鋳造V8ブロックのフラットヘッドエンジン(通称:フラッティー)を奢り、パワフルになった動力を支える為にフレームレールを視覚的にも美しくウェーブさせて捻り剛性の向上も図っている。
クーペタイプは3ウィンドウ、5ウィンドウがあり、他にも様々なボディタイプがラインナップされが、各メーカーのストリームラインを取り入れたデザイン競争が激化し、30万台にも満たない生産台数でカタログから姿を消した。

参照